理系の晩年 文理格差の拡大

文系と理系の一生の間に拡大していく文理格差

I.理系の一生

1.理系への進学

 高校のときは、人付き合いが苦手で、数学が好きだった。

 周りからは、おまえは理系に進むしかないといわれた。

 大学の理工学部に入学した。とりあえず、好きなことができると思い嬉しくなった。

2.大学生活

 大学は実験が大変だった。文系の人は、遊んでいるように見えた。

 毎日、難しい数式が黒板に書かれていく。だんだん、理系に入ってよかったのか不安になってきた。

 どうして、こんなに難しいことを勉強するのだろうかと疑問になった。

 社会の役に立つには、化学式や微分方程式が必要なのだろうか。

 そんな疑問を感じたら落ちこぼれる。必死で黒板の化学式、方程式をノートに写した。

3.就職

 大学を卒業して、就職をした。理系の卒業生だったので、就職は難しくなかった。

 どうして理系は就職が有利なのか不思議に思った。

 そして、技術者としての一歩を踏み出した。やりたいことができると思うと嬉しかった。

 しばらくは、仕事を覚えるのに忙しく、充実した時間をすごした。

4.上司とのトラブル

 上司に、研究について、自分のやりたい研究をしたいといった。

 上司は言った。おまえは会社の利益になっているのかと。

 何も言えなかった。

 遊んでいたように見えた文系の人は、どんどん上司の評価が上がっていく。

 実は、文系は大学で遊んでいるように見えて、人を扱う経験を積んでいたのだ。

 理系が、化学式や微分方程式等を学んでいる間に、文系は人間関係を学んでいた。

 人間関係を扱う能力は、自分より文系の人が上だと思った。自分は、上司とけんかになることも多い。

5.出世の遅れ − 文理格差の始まり

 やはり、上司への受けが悪いと出世に響くようだ。同期の文系は、少し上にいった。

 でも、金額的にはたいした差はなかった。文理格差なんてたいした問題ではないと思った。

 やりたいことをやっていられる方が、多少のお金より大事だと自分に言い聞かせた。

 もともと、出世には興味が薄かった。出世して何になるんだと思った。出世すると雑用が増える。

 いくらそう自分に言い聞かせても、出世の遅れは心にこたえた。

 自分は、お金にはあまり興味はなかったが、家族や周りはそうではなかった。

 名刺交換をするのがいやで、同窓会に出席するのもおっくうになった。

 この状態で平気でいられる人が、理系として偉くなれるのだろうなと根拠もなく思った。

6.少し出世の遅れを取り戻す − 文理格差についての甘い見通し

 上司が変わり、自分を評価してくれる人が現れた。

 理系の理解者、支援者は会社にもいるものだ。

 自分は、暗く、人付き合いが悪くても、そういうところより、技術への職人的なこだわりを評価してくれる上司だった。

 少し出世の遅れを取り戻した。まだ、同期に比べて少し遅れているが、大きな差ではない。

 文理格差なんて、それほど存在しないじゃないかと思った。

7.上司がまた変わる − 文理格差の拡大

 引き立ててくれた上司が配転になり、上司が変わった。自分に合わないタイプだ。

 たちまち査定が下がった。文系の人は、信じられないことだが、うまくやっているようだ。

 毎日転職のことばかりを考えるようになった。

 しかし、技術は専門分化が激しく、なかなか希望の転職ができない。

 独立することも考えた。

 自分は、会社が必要とする技術を職人的に究め、会社にかなりの利益を与えてきたという自負はあった。

 しかし、自分が独立し、今まで会社で究めてきた専門技術を製品にするには、他の多くの技術が必要だ。

 それらの他の技術は、それぞれ別の技術者が専門に研究しており、自分には分からない。

 独立して会社を立ち上げても、自分の技術だけでは製品を作れない。

 独立しても、とてもお金にはなりそうになかった。

 ある程度年齢が高くなって、はじめて技術者が、あまりつぶしがきかないことに気づき始めた。

 就職の頃、あんなに歓迎されたのはなぜだったのだろうと考えた。

 それは、後が大変だから歓迎されたのだ気づいた。

 安い商品を高く買おうとする人がいれば、売り手は大喜びで歓迎するだろう。

 高い商品を安く買おうとする人がいれば、売り手は売り渋るだろう。

 若い頃、文系の方が就職が難しいので、理系の方が待遇がよいと思っていた。

 しかし、それが間違いであることに気づくには、長い歳月を要したのである。

 文系は、ジェネラリストとして、色々な経験を身につけている。

 理系の自分は、その間、難しい数式を勉強し、専門的な技術をやってきた。

 そして、自分の会社が必要とする技術を、ひたすら職人的に追及してきた。

 それは、会社の外では、役に立たないのだ。

 いわば、かごの中の鳥である。

 そんなことを考えている間にも、最先端の技術は進歩していく。

 必死で追いつかなければならない。

 将来のことを考える暇もないのだ。

8.中年になって − 文理格差の深刻化

 新しい技術にだんだんついていけなくなってきた。

 若い頃は面白かった技術も、今は苦しみの対象になることもある。

 リストラの恐怖にもおびえるようになった。

 技術の進歩は速い。

 一生懸命究めてきた技術が、代替技術の出現等により必要なくなってしまった技術者は、不要になっていく。

 何人もの理系の同僚が、リストラにあった。

 自分の技術も、別の技術の発展により、もうすぐ役に立たなくなる。

 若くて給料の安い理系の兵隊さんはどんどん入ってくる。彼らは優秀で安く働く。

 古い技術は知らないが、新しく出現した技術を学ぶ速度では、自分はとてもかなわない。

 自分の価値は何なのだろうか。そう思うと、淋しくなった。

 同期の文系には、はるかに高い地位に上ってしまった人もいる。彼らはマネジメントを勉強していた。

 こんなことではいけないと思い、技術マネジメントを勉強し始めた。

9.定年が近づいて − 文理格差の本格的な出現

 定年が近づいてきた。 

 自分の専門技術も、別の技術の発展により、価値をほとんど失っていた。

 しかし、技術マネジメントを勉強したおかげで、何とかリストラは逃れた。

 しかし、出世した文系は、会社のマネジメントをしている。

 それに対し、自分は技術に関係がある一部門のマネジメントをしているにすぎない。

 文系の役員候補から、こういう言葉が聞こえた。

 「あいつはマネジメントができないから残れないね」と。

 そのとき、自分のやっている技術マネジメントは、文系の役員候補から、会社のマネジメントとはみなされていないことを知った。

 同期の文系は、役員になった人、関連会社でよい待遇を得た人、いつの間にか会社を去って消息が不明な人、など様々だ。

 自分には、関連会社でよい待遇を得るという先もない。

 文理格差という言葉を、このときになって初めて感じた。今までそんなことを感じたことはなかったのである。

 若い頃は、文系も理系も、多少の上司への受けの差はあっても、大差はなかった。

 技術が楽しかったので、理系の方が恵まれていると思っていた。

 将来についても、文系も理系も、会社で経営陣やマネジメント職に上がっていける確率は、対等だと漫然と思っていた。

 でも、今はそうでないことが分かった。 

 自分の会社の経営陣を調べてみると、圧倒的に文系が多いことに気づいたのである。

 理系は若い頃、難しい勉強をする。

 しかし、 難しい化学式や微分方程式は、定年が近づいた頃には、会社の経営やマネジメントにあまり役に立たない。

 文系は若い頃からジェネラリストとして、色々な経験を積むことが多い。

 それは、定年が近づいて会社の経営やマネジメントをするときにも役に立つ。

 会社の経営やマネジメントの力では、経営や人間に関心のある文系の方が、専門的な技術だけを職人的に極めた理系の自分より、上だと思った。

 だから、文系の方が、会社の経営陣やマネジメント職になれる確率が、相対的に高くなるのではないかと思った。

 理系と文系の年収の格差にも、ようやく気づいた。

 若い頃は、年収の差はたいしたことはなかった。少し差があるのが、精神的にこたえただけだ。

 でも、今ははっきり目に見える差になって現れている。

 今になれば、誰がどうみても、出世した文系は、社会的地位と待遇で、自分を引き離していたのである。

 若い頃は、世間でさんざん文理格差と言われていたのに、全く実感できなかったのである。

 自分は世間でさんざん言われていることを無視しがちだった。

 これも自分が理系である特徴であることに気づいた。

 また、自分に言い聞かせた。この年齢になってまで会社で働く必要はない。田舎でゆっくりしようと。

 でも、いくらそう自分に言い聞かせても、事実だけが重くのしかかっていく。

 自分は会社には必要のない人間だ、という事実である。

10.定年を迎えて −理系の晩年−

 もう諦めかけていたとき、小さな関連会社での再就職先を世話してくれる人が現れた。

 会社にも、理系のサポーターは、少ないけれどもいるのだ。

 再就職先は、技術の会社だ。自分の専門技術とは分野が少し違うけれど、技術のマネジメントに来てくださいといわれたのだ。

 その頃には、自分の専門技術は、別の技術の発展により、価値を完全に失っていたのである。

 もちろん、給料、待遇は低かった。

 でも、自分を必要としている人がいることは嬉しかったのである。

 一生懸命仕事に臨んだ。しかし、新しい技術についていくのは、難しかった。

 若い技術者からは、厄介者扱いされることもあった。

 若い技術者は威勢がいい。細かい専門的な技術をどんどん吸収していく。

 若い技術者は、たしかに優秀だ。

 しかし、文系の社員を見下すなど、傲慢なところがあり、上司との揉め事も多い。

 一方、文系の社員は、要領がよい。自分も、文系の社員の方が好感が持てる。

 若い頃は、理系の自分は傲慢だった。難しい数式が分からない文系を見下したりした。

 しかし、現在、上司の立場に立ってみると、文系の社員の方が優秀な側面があることに気づいた。

 難しい数式を知っていることより、部下には大事なことがあるのだ。

 会社に勤めていた文系の社員も、必死で努力すれば、理系が仕事で使っている難しい数式はなんとか分かるだろう。

 しかし、文系の社員は、会社の中では、それは必要とは思っていないから、分かろうとしないのではないか。

 会社の中で出世すれば、難しい数式の仕事は、理系の部下に任せればよいのだ。

 文系には多くの優秀な側面がある。若い理系にはそれが分からない。

 だから見下してしまう。しかし、見下した文系は、将来、理系の上の地位に立つかもしれないのだ。

 文系の知性の高さに気づいたときは、手遅れなのである。

 上司の立場に立ってみると、文系の部下の方がかわいく思える。

 一部の理系の部下は、はっきり言って嫌だ。査定も下げたくなる。

 でも、必死でそういう感情を抑える日が続いた。

 若い技術者が、晩年を迎えたとき、後悔するだろうなあと思った。

 細かい専門的な技術は、会社には大きな利益をもたらすかもしれないが、会社の外に出てしまえば、あまりお金にならない。

 そして、細かい専門的な技術を究めても、技術の進歩は速く、晩年には役に立たなくなる。

 理系の晩年の寂しさを知った。

 理系の晩年をコストに換算すると、いくらになるのだろうか。

 到底、若い頃に少し就職が良いくらいでは、つりあわないコストだ。

 でも、若い頃は、分からなかった。理系の方が有利なのではないかと思ったことも多い。

 だから、安い商品が高く売れるのだ。

 どうして、自分が歓迎されたのかを知り、人間不信になった。

 歓迎されるのには、理由があったのである。

 社会に対し怒りを感じた。

 理系の若い社員に、そういう話をした。

 社会がおかしいじゃないかと。だから、理系の地位を向上させる運動をしようと。

 若い社員は、言った。そんな話は興味がない。

 だいたい、専門的な技術の習得に忙しいと。

 そうだろうなと思った。自分が若い頃も、全く同じように答えただろうと思った。

11.子供たちへの思い −理系の晩年−

 第2の会社も、すぐに退職になった。

 やはり、前の会社の温情で、しばらくの間という約束でいさせてもらったようだ。

 もう、就職先はない。自分を必要としてくれる会社もないのだ。

 静かに田舎で暮らそうと思い、退職金で小さな家を買った。

 技術にも興味がなくなった。

 ときどき、日本の技術についてのニュースを見た。

 そこには、理系の晩年の話はなかった。

 理系の晩年に関しては、誰も報道しない。

 日本の技術はすばらしいという話ばかりが流される。

 職人的に技術を追及したが、結局出世できなかった理系の晩年の話はニュースにはならない。

 でも、井戸端会議での話題は、いつも出世の話だった。

 かつて同僚だった文系には、役員として活躍している人もいるようだ。

 社長に昇進が期待されている人もいた。そういう話で持ちきりだ。

 周りの人間は、そのようなことを気にするが、自分にはもう気にならなくなった。

 子供に、出世できなかったと言われても、平気になった。

 若い頃は、給料が安いという発言で、何度も夫婦喧嘩になった。

 しかし、今はどうでもよかった。何もかもが、夢のように過ぎていった。

 ただ、かすかに子供への思いだけがある。

 それは、子供には、理系に進んでほしくないことだ。

 子供は、数学が得意なようだ。でも、医学部に行く偏差値はない。

 自分は、獣医さんを薦めた。獣医さんなら、晩年でも、動物に慕われ、必要とされる。

 しかし、子供は、動物が嫌いなので、獣医さんにはなりたくないと言った。

 自分に似て、人付き合いは嫌いだった。だから、文系には行きたくないそうだ。

 自分とあまり変わらない人生を歩むのだろうか。

12.理工学部の校舎へ

 定年になって暇ができたので、久しぶりに、自分が卒業した大学の理工学部の校舎を訪れた。

 若者が熱心に勉強をしている。黒板には、難しい化学式や微分方程式が書かれている。

 ここにいる人は、誰も、理系の晩年を知らないのだろうと思うとやりきれない気持ちになった。
 
 思えば、自分が若い頃は、ここで難しい化学式、微分方程式を勉強していたのである。

 それが、今は何の意味もなくなっているのが空しかった。

 就職のときに、理系が就職先を見つけやすいことに、妙に不思議な感覚を持ったのを思い出した。

 その理由は、今ようやく、理解することができたのである。

 何の理由もなく、就職先を見つけやすいなどという甘い話は、世の中にはなかった。

 理系の晩年。

 その言葉が、寒い北風の中を通り抜けていった。

この小説はフィクションであり、特定の人物との関係は全くありません。

また、この小説の登場人物は典型的な理系とはかなり異なっていると思われます。

II.文理格差は本当に存在しないのか?

 理系の晩年を考えれば、理系の地位向上が大切ではないでしょうか?

 たとえば、マネジメントや会社の経営には関心がないけれども、職人的に技術を究めて会社に貢献した人にも、場合によっては役員並の高待遇を認めるなどです。

 理系、理工系の地位向上について、より詳しい情報は、理工系.comへどうぞ。  

  小説の数だけ、理系の晩年のストーリーはあると思います。
  「理系の晩年」の読後感が今ひとつの方は、「理系の晩年2」をどうぞ。
   


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