理系の晩年2 燃え続ける技術者魂
面白さを追求した技術者の一生
I.理系の一生
1.理系への進学
一度しかない人生だから自分が面白いと感じることをしたいと考え、主体的に理系を選択した。
大学の理工学部に入学した。これからやりたいことができると、期待に胸を膨らませていた。
2.大学生活
大学では自分が面白いと思うことだけを追求した。
楽しそうにしていたので、文系の人からは遊んでいるように見えたかもしれない。
社会の役に立つことも考えなかった。とにかく面白かったので無我夢中で取り組んでいた。
3.就職
大学を卒業して、就職をした。
就職では、大学で学んで来たことを熱く語った。就職担当者は是非来てくれといった。
そして、技術者としての一歩を踏み出した。やりたいことができると思うと嬉しかった。
会社に入っても、とにかく面白い仕事をすることだけを考えた。
4.上司との葛藤
上司に、自分のやりたい研究をしたいといった。
上司は言った。おまえは会社の利益になっているのかと。
正直に考えて、「今はなっていないと思いますが、将来は利益になると思います。」と答えた。
上司は言った。「会社は、学校や研究所とは違うんだ。利益を出さなければならない。わかっているのか。」
「面白い仕事をすれば、会社の利益になる日が必ず来ると思います。この研究を見てください。」
そういって、燃えるように、現在の研究状況を熱く語った。
上司は言った。「何を言っているんだ。そんな研究はもう外国でなされている。そんなことより、技術のサポートをしろ。」
上司は、研究開発の仕事より、技術のサポートなどの仕事を重視するように言った。
しかし、自分は燃えるように熱く語った。「外国のものとは違います。この方向で研究している人はいません。もう少し時間
をください。必ず成果を出してみます。」
上司は言った。「成果が出なかったら給料を返すのか。君は、技術サポートの仕事は雑用だと思っているかもしれないが、
技術サポートは重要な仕事だ。顧客の苦情から社会のニーズをつかめば開発のヒントが得られるかもしれないぞ。」
「成果が出なかったら給料を返すのか」という言葉が頭の中で3、4回こだましていく。自分にはそれだけの決意があるのか
と考えると、心に重くのしかかる言葉だ。
しかし、気を強くして言った。「顧客の技術サポートはしますが、研究開発はどうしても続けたいと思います。私は、家に帰っ
ても、24時間研究開発のことを考え続けます。それについては、残業代はいりません。」
上司は、私の毅然とした態度を見て動揺した。他の部下には見られない、予想外の答だったようだ。
上司は、そこまで言うのであればこいつは成果を出すかもしれないと考えて、研究を黙認した。ただし、技術サポートの仕
事を1日6時間以上行なうことという条件をつけた。さらに、上司の査定はかなり低かった。
しかし、電車に乗っているときも、道路を歩くときも、1日24時間と言ってもよいほど必死に考え続けた。ある日、電車に乗っ
ていると、見たこともない終点の駅にいつの間にか着いていた。
眠る間はアイディアが浮かぶ時間だ。眠る時間も潜在意識を働かせるのである。ノートを枕元に置き、顕在意識が消えた
後も、潜在意識で考え続けた。
次の日の朝に、書き取ったアイディアをまとめる。そして、会社に行くまでの間にも考え続けた。
そのようにしても、なかなか成果は上がらなかった。
世界の有名な技術者、研究者が熾烈な競争をしている。その中にはとんでもない才能をもった人々がたくさんいるのだ。
それでも、面白いことだけにこだわり続け、技術者魂を燃やしていくのである。
面白いことだけをしているので毎日が遊んでいるようだった。嫌いなことをして、同じ時間努力することは不可能だろう。
上司には、燃えるような技術者魂がなんとか伝わったようだ。
上司はあまり良い顔はしなかったが、あいつにはやらせるしかないと黙認していた。
5.成果が出ない − 頭の中でのこだま
成果はなかなか出なかった。上司の「成果が出なかったら給料を返すのか」という言葉が頭のなかでこだましていた。
しかし、研究対象に取り組むと雑念は消えた。
24時間、何が問題で成果が出ないのかを考え続けた。
面白いことをしているので、他のことに対する欲求は著しく低下した。
もともと、出世には興味が薄かった。むしろ、自由な研究開発の時間が増えることこそが出世と思った。
お金にはあまり興味はなかったが、家族や周りはそうではなかった。
家族の不満そうな顔を見るのは辛かったが、研究対象に取り組むと雑念は消えた。
「パパは今回も出世できなかったのね」と娘が悲しそうに言った。恐らく妻が娘に不満をもらしたのだろう。
それでも、家族は24時間考えている自分を心配して、気晴らしに同窓会に行くことを勧めてくれた。
同窓会では、医師になった人が羽振り良さそうにしていた。理系コースでの成績は同じくらいだったが、
今は大きく違う人生を歩んでいる。
6.少し研究の遅れを取り戻す − 理解のある上司の出現
上司が変わり、自分を評価してくれる人が現れた。
少ないけれども理系の理解者、支援者は会社にもいるものだ。
会社の利益になる成果は出ていなかったが、かなりの技術的な前進があったことに気づいてくれたのだ。
技術を見る目がある上司はありがたかった。
自分は、会社の利益にはなっておらず立場が悪かったのだが、上司が色々と取り計らってくれたのである。
技術サポートの仕事を他の人に代わってもらえるように配慮してくれた。
研究に割ける時間や設備が増えて、少しずつ研究は進んでいった。
このままやっていれば、会社の利益になる成果が出せるという期待が大きく膨らんだ。
一層研究に打ち込んだ。少し研究の遅れを取り戻した。
面白い研究をしてお金がもらえるなんて、何とありがたいのだろうと思ったのはこのときである。
7.上司がまた変わる − 合わないタイプの上司の着任
引き立ててくれた上司が配転になり、上司が変わった。自分に合わないタイプだ。
たちまち査定が下がった。
その上司は技術の目効きではなかった。
ある意味で公平な上司で、会社の利益になっているかどうかを客観的な数字により厳格に判断したのである。
そして、会社の利益になっていない自分には、研究をやめさせ、技術サポート要員となるよう命じたのである。
顧客のニーズを捉えて小幅な改良を行なっている社員の査定が上がっていった。
技術的能力が低いと思っていた後輩にも査定で抜かれていったのは、さすがに堪えた。
転職のことも考えるようになった。
しかし、技術は専門分化が激しく、なかなか希望の転職ができない。
専門と違う職場に行けば、もう少しで成果が上がるのに元も子もなくなってしまう。
独立することも考えた。
しかし、自分は技術を職人的に究めたが、会社に利益を与えてきていないという重い現実があった。
独立した後、成果が出なければ、家族は路頭に迷ってしまう。
また、今まで会社で究めてきた専門技術を製品にするには、他の多くの技術が必要だ。
独立して会社を立ち上げても、自分の技術だけでは製品を作れない。
独立しても、とてもお金にはなりそうになかった。
しかし、そんな逆境でも、燃えるような技術者魂がわいてきた。
困ったときこそ、原点に戻って、自分が面白いと思うことに打ち込むという姿勢を貫いたからである。
勤務時間内は技術サポート要員となるが、勤務時間外での研究を認めてほしいと熱く語ったのである。
上司は困った顔をした。
しかし、勤務時間外の自由を奪うことはできなかったのである。
必死で新しい技術報告や論文を読んだ。
幸い、1人だけ仲間の社員が勤務時間外に実験を手伝ってくれた。
燃えるような技術者魂を周囲から否定されたときこそが、勝負だと思った。
諦めれば、そこでゲームセットになってしまう。
そのように考えて、絶対に諦めなかった。
妻は言った。「そんな頑固な考え方では社会ではうまくいかないわ。あなたも家族のことを考えて。」
娘も言った。「実際、パパはうまくいっていないわ。」
しかし、燃えるような技術者魂は、家族にも伝わっていった。
そのように忠告はしても、結局は人間には諦められないものもあることを認めざるを得なかったのである。
8.中年になって − 予想もしなかった成果
しかし、成果はあまり出なかった。いつしか中年になっていた。
成果が全く出なかったわけではなく、技術的にはかなりの前進が見られ、製品にも成果の一部が採用された。
しかし、会社に大きな利益を与えるには至らなかったのである。
その意味では期待していたような成果は出なかった。
しかし、24時間探求を続けたことは、技術を見る目を養うという、予想もしなかった成果をもたらした。
信じられないことだが、非常に狭い分野をとことん深く究めることで、技術の全体が見えるようになったのである。
歳をとるにつれて、総合的に技術を見る目が益々磨かれていった。
新しい技術が次々に出てくるが、細かいところを捨象して、その本質をつかむことができるようになっていたのである。
会社では、技術的な判断が経営に必要となっており、広い視野から技術を見る目は役に立った。
中年になってようやく会社にとって必要な人間になり、リストラの対象にもならなかったのである。
会社の利益になる研究成果は実現できなかったが、会社では技術マネジメントの仕事につくことになった。
技術の進歩は速い。
一生懸命究めてきた技術が、代替技術の出現等により必要なくなってしまった技術者は不要になっていく。
技術の本質を究めないまま、小刻みな改良により成果を上げた何人もの理系の同僚がリストラにあった。
そのときは会社の利益になったかもしれないが、晩年になって技術に追いつけなくなってしまったのである。
逆に、技術の本質を究め、歳をとって技術をより広い視野から総合的に捉えることができるようになると、
晩年になってから会社に利益を与えることができるようになった。
若い技術者から相談を受けることも多くなった。
若い技術者が目を輝かせて研究をしているのを見ると、面白いことを一緒に追求している気持ちになる。
相談を受けた若手の中には、大きな成果を上げて会社の利益に貢献していった者もいた。
そのような若手ができる限り力を発揮できるように力を貸していった。
同期の文系はマネジメントを勉強していた。
自分も、よりよく若手をサポートするために、技術マネジメントを勉強し始めた。
9.定年が近づいて − 面白いことをし続けて
定年が近づいてきても、面白いことを追求し続ける姿勢は変わらなかった。
燃え続ける技術者魂を持って後進の指導に当たっていた。
成果が出なくても、見所のある若手がいれば、できる限りのサポートをした。
少ないけれども理系の理解者、支援者は会社にもいるものだ。
ある日、成果が出なくて問題児扱いをされている部下が来た。
問題児は、目を輝かせて研究について熱く語った。
そのとき、この部下が問題児ではないと直感することができたのである。
しかし、研究開発の道は決して甘くはなく、本物だと思った部下が必ず成果を出すとは限らない。
大きな成果を上げた者、成果が出ない者、技術的な成果はあっても会社の利益にはならなかった者など様々である。
しかし、燃えるような技術者魂の火を会社から消してはならないと考えたのである。
もっとも、技術マネジメントについての全社的な理解は決して高くはなかった。
文系の役員候補から、こういう言葉が聞こえた。
「あいつはマネジメントができないから残れないね」と。
そのとき、自分のやっている技術マネジメントは、文系の役員候補から、会社のマネジメントとはみなされていないことを知った。
しかし、株主の中に、技術を経営に生かし、技術の目効きが役員に入ってほしいと考える者が現れた。
数は少ないけれども、理系の支援者は社外にもいるのである。
そして、幸運にも、技術マネジメントに携わる役員ポストが作られて、そこに就任することができた。
理系は若い頃、難しい勉強をする。
それは一見すると、定年が近づいた頃には、会社の経営やマネジメントにあまり役に立たないように見える。
文系は若い頃からジェネラリストとして、色々な経験を積むことが多い。
それは、定年が近づいて会社の経営やマネジメントをするときにも役に立つ。
だから、会社の経営やマネジメントに残る人は、経営や人間に関心のある文系の方が多くなるように思われた。
しかし、専門的な技術を深く極める中で、技術に対する深い理解がはぐくまれ、より広い視野で技術を見る目を
養うことができる場合がある。
だから、科学技術が高度化するにしたがって、理系のマネジメント職も重要性を増していくのではないかと考えた。
理系と文系の年収の格差があるかないかなどという問題は一度も気にならなかった。
歳をとっても、楽しいことをしているという自負があった。
技術者としての一生に悔いはないと自信を持っていえると感じたのである。
周りの人は気にしたが、若い頃は年収の差はたいしたことはなかった。
あのとき、出世が遅れるのを恐れて本質を見失ってしまっていたら、後悔しただろうと思う。
若い頃は、世間でさんざん文理格差と言われていたようだ。
自分は世間でさんざん言われていることを無視しがちだった。
しかし、これはときとして成功する理系の特徴であることに気づいた。
燃え続ける技術者魂を持っていれば、周囲の雑音に影響されずに面白いことを続けることができる。
そして、24時間打ち込めるほど面白いことを見つければ、いやいや働いている人とは比較にならないほど高い能力を身
につけることができる。
もちろん、研究開発の道は厳しく、24時間打ち込んでも、成果が出るという保証はない。
しかし、そこで培った技術を見る目は、理系の晩年になっても衰えるばかりか、ますます輝きを増すことがあり、仮に適切
な社会環境等が整えば、会社に役に立つ人間になりうるのである。
10.定年を迎えて −理系の晩年−
成果の出ない若手が中年になってしまい、リストラされることもあった。
役員として反対したが、役員の多数の判断にしたがうしかなかった。
リストラが決定された人が諦めかけていたとき、役員の選任の際にお世話になった株主に相談して、小さな関連会社
での再就職先を世話してあげることができた。
会社にも、会社外にも、理系のサポーターは、少ないけれどもいるのだ。
再就職先は、技術の会社だ。その人の専門技術とは分野が少し違うけれど、技術のマネジメントを期待して紹介した。
その頃には、自分の専門技術は、別の技術の発展により一見価値を失ったように見えた。
しかし、技術の本質は変わらない。重要な技術的決定ができる役員としての判断には役に立っているのである。
面白いことを追求し続けたにもかかわらず、生涯で通算して考えれば、給料、待遇も低くなかった。
何よりも、会社の中で困っている部下が、自分を必要としていることは嬉しかったのである。
若い技術者は、技術の本質的な部分で、よく相談に訪れた。
若い技術者は威勢がいい。細かい専門的な技術をどんどん吸収していく。
その意味では、若い技術者は、たしかに優秀だ。
しかし、本質的な部分では経験が足りないことが多く、サポートが役に立つことがある。
一方、文系の社員は、要領がよい。自分も、文系の社員の方が好感が持てる。
文系社員には、会社の利益をすぐ出せる者がいる。営業のうまい社員などである。
しかし、現在、上司の立場に立ってみると、会社の利益とは長期的な視野で見なければいけないことが分かった。
技術の火を消してしまえば、会社は長期的には徐々に劣化していってしまう。
やがては、技術力が衰退して見るべきもののない会社になってしまうのだ。
会社の技術の火を保ち続けていくサポートのネットワークが必要と感じた。
会社に勤めていた文系の社員も技術のセンスがある人はいる。
そういう社員は、自分の意見も理解してくれる。
会社の技術の火を保ち続けるサポートのネットワークには、文系も必要なのだ。
文系には多くの優秀な側面がある。若い理系にはそれが分からない。
だから見下してしまう。しかし、見下した文系は、将来、理系の上の地位に立つかもしれないのだ。
上司の立場に立ってみると、文系の部下の方が頼もしく思える。
しかし、頼りない一部の理系の部下を、育てていくことが重要と思った。
若い技術者が、晩年を迎えたとき、安易に妥協をすると後悔するだろうなあと思った。
いい加減に仕事をしても、成果の出やすい仕事をすれば、会社に早く利益をもたらすかもしれない。
しかし、いい加減な仕事をしていては、技術の進歩は速く、晩年には役に立たなくなる。
でも、若い頃は、分からなかった。いい加減に仕事をした方が、要領がよいという意見を聞いたことも多い。
上司がしっかりせず、十分なサポートを受けられない部下もいるのではないだろうか。
自分がここまで来れたのは、少ないながらも会社に理系の支援者がいたからである。
社会に対し怒りを感じた。
理系の若い社員に、そういう話をした。
社会がおかしいじゃないかと。だから、社内に限らず、社会全体で理系のサポートをするネットワークを作る運動をしようと。
若い社員は、言った。それはよい話だけれども、忙しくて時間がないと。
技術開発だけではなく、色々な雑用が多すぎて会社の仕事をこなすだけで精一杯であると。
そうだろうなと思った。自分が若い頃も、全く同じように答えただろうと思った。
11.子供たちへの思い −理系の晩年−
役員を辞めた後、第2の会社、第3の会社で後進の指導に当たった。
まだ就職先はある。自分を必要としてくれる会社はたくさんあるのだ。
家族が静かな田舎暮らしを楽しみたいので、退職金で小さな別荘を買った。
家族はとても喜んだ。しかし、自分は毎日面白い技術を追いかけているので、別荘に興味はなかった。
ときどき、日本の技術についてのニュースを見た。
そこには、理系の晩年の話はなかった。
理系の晩年に関しては、誰も報道しない。
日本の技術はすばらしいという華やかな話ばかりが流される。
日本の技術を陰で支えている少数の人々のネットワークと、目立った成果は出なかったが燃えるような技術魂を
持ち続けている理系の晩年の話はニュースにはならない。
かつて、自分の出世が遅れているという話が、家族の中でなされた。
周りの人間は、そのようなことを気にするが、当時は自分は気にならなかった。
子供に、今回も出世できなかったと言われても、平気だった。
若い頃は、給料が安いという発言で、夫婦喧嘩になったこともあった。
しかし、当時はどうでもよかった。
だが、今は後進の技術者がそのような圧力で潰れてしまわないかがとても気になる。
必要なのは、後進の技術者のサポートをするネットワークを作ることだ。
子供は、数学が得意なようだ。
医学部に行く偏差値は十分にある。
しかし、自分は、技術者を薦めた。
技術者なら、晩年でも、技術者魂を持って面白いことを追求していけることを熱く語った。
それなのに、子供は、技術者にはなりたくないと言った。
自分とは違った人生を歩むのだろうか。
12.理工学部の校舎へ
定年になっても忙しかったが、久しぶりに、自分が卒業した大学の理工学部の校舎を訪れた。
若者が熱心に勉強をしている。面白いことを追求している人もいれば、要領よくこなしている人もいる。
ここにいる人は、誰も、理系の晩年を知らないだろう。
理系の晩年のすばらしさを話したい気持ちになった。
思えば、自分が若い頃は、ここで将来の期待に夢を膨らませていたのである。
思ったとおりの夢は実現できなかった。しかし、夢を持ったことは決して今も意味がなくなっているわけではなかった。
就職では、大学でやってきたことを熱く語っただけで、就職担当者が是非来てくれといったことを思い出した。
そんなに簡単に就職が決まったことについて、妙に不思議な感覚を持ったのを思い出した。
気になってそのときの就職担当者のことを調べると、成果が出ないで研究開発から就職担当に回されたが、燃えるよ
うな技術者魂を持っていた人だったと聞かされた。
就職のとき就職担当者が是非来てくれといった理由は、今ようやく、理解することができたのである。
何の理由もなく、就職先がすぐ決まったわけではなかった。
社会に存在する見えないネットワークの力を感じた。
理系の晩年。
その言葉が、静かに降り積もる雪の中に解けていった。
この小説はフィクションであり、特定の人物との関係は全くありません。
また、この小説の登場人物は典型的な理系とはかなり異なっていると思われます。
II.理系のサポートは本当に必要ないのか?
小説の数だけ、理系の晩年のストーリーはあると思います。
「
理系の晩年
」と「理系の晩年2」の両方の読後感が今ひとつの方は、あなた自身の自由な発想で、
第3、第4の理系の晩年の小説を書いてみませんか?
理系、理工系の地位向上について、より詳しい情報は、
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